裁判員制度を考える
被告視点>
例1)
私はもともと顔つきが暗く、良い印象を持たれません。
私は冤罪を主張しています。やってない。私じゃないんです。
私には前科というか・・・昔、少年院にいました。若気の至りです。
でも面倒なことを起こしたのはその時限り。今は真っ当に暮らしています。
しかし陪審員は思います。
「こいつ陰湿そうな顔してるなあ。少年院にいたってことは
元々人間性に問題があったんだな。どうせ嘘ついてるんだろう。こいつは有罪だ。」
たった3日間の裁判で、私は有罪判決を受けました。
例2)
私は娘を失った母親です。娘を殺害した疑いで逮捕されました。
「犯人は被告に違いない」という論調の記事が世間に出回っています。
ワイドショーの司会者 『もの みんた』 が
「母親が直ちに通報しなかったのはなぜ?この空白の時間、母親は何をしていたんですかね・・・」と
意味深な発言をしたそうです。これではまるで私が犯人扱いではありませんか。
コメンテーターも「そうですね〜」と意味深に頷いたそうです。
私じゃない、私は殺してない。
でも、裁判員はこう考えました。
「ワイドショーの ものみんた が言ってたなぁ。母親が怪しいと。
確か育児に疲れてたって近所のインタビューも取れてたし」
プロでも冤罪を生み出す司法の場。3日間の素人衆裁判によって私は有罪判決を受けました。
これから一生、私は娘殺し、殺人犯の濡れぎぬを着せられ生きて行かねばなりません。
私は間違いを犯します。これまで何度も間違いを犯しました。
これからも間違いを犯すでしょう。マスコミの報道に騙され、ソース不詳の情報を鵜呑みにし
客観的な論理性のない先入観と主観と個人的好悪で物事を判断するでしょう。
見たくないものはなるべく見ないように、見たいものだけを喜んで見るでしょう。
某アンケートの設問1)・・・・「粛々と裁判員の役目を果たす」
凄いな〜。私は無理です。できません。
人ひとりの人生を破壊してしまうかも知れません。
一度っきりの人生を、他者の手によって破壊されていまう悔しさを
想像してみようではありませんか。
犯罪者の汚名を着せられ、社会的に抹殺され、社会から隔離されて生きる。
誰にも理解されず、誰からも信じてもらえない人生。
人生で味わう喜びを自由に謳歌することもなく管理されて生きる。失われた時間は取り戻せない。
無実の人に、このような苦痛を与えてしまうことがどれ程罪深いことか。
私が決定した求刑が公正なのかどうか判断がつかない。
私はあまりにも未熟すぎます。
もし冤罪を生み出してしまったら、その罪は誰が背負い、誰が裁くのですか。
仮に私が生涯背負って生きたとしても、被告の人生は取り返しがつきません。
素人に任せるということは、感情や主観が先行する危険が大いにあるということです。
専門性が要求される分野に、ど素人を入れるなどトンデモナイ。
裁判官が負う守秘義務を、国民に強いるとは何事?
例1)例2)の話、明日は我が身であることを考えますと、足がガタガタ震えます。
追記>
犯罪や事件・裁判の判定などが話題に出るとき
「こんな奴は死刑にしてしまえ」とやんやの声が上がる。
「厳罰を求む」ではない。「死刑だ!殺せ」という声です。
悪魔の所業とも言うべき凶悪犯罪者への怒りとしては当然と言えます。
それでもこれを口に出すことに私はどうしても馴染めません。
「殺してください」と言っても許される人がいるとすれば、被害者家族だけだと思うからです。
人が人を裁き、罪の代償に命を奪う。法の元の拘束を命じる。
いわば裁判員は殺傷与奪権を与えられるようなもの。
それが極刑でも、冤罪でも、過剰な求刑であっても、
人ひとりを物理的に、社会的に抹殺できる権限が与えられる。
権限がないうちは、安易に「死刑だぁぁぁぁ」と口に出せるかも知れません。
しかしもし権限を与えられたら、その重みに足が竦んでしまって、
おいそれと言えなくなると思います。
殺傷与奪権を握ることの重みをシュミレーションしても尚
「死刑〜死刑〜」と口走る人が裁判員になったら・・・・恐ろしいですね。
裁判員視点>
※事件関係者からの圧力や接触から守ってくださるのかしら。
(怖いですね。万一個人情報が漏えいしたらどうしましょうか。被告家族に報復されることもある)
※関係者からの圧力に屈して求刑・判決に手心を加えたり
あるいは取引したり・・・こんな犯罪が起こらないとも限りません。
※裁判が長期化した場合の負担が大き過ぎます。
(生活が立ち行かなくなったらどうするんですかねえ。)
※よほどの理由がなければ拒否できない。反強制的?!(辞退すれば罰金10万円)
(憲法違反はんたーい!はんたーい!国民の義務は納税、勤労、教育の3つざんす )
私は 「憲法違反!思想信条に反します」 と意思表示を行い
粛々と辞退させて頂くつもりであります<(^^)
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Comment
くるくるさん
ポスティング、今日は休みます。
ちーと無理し過ぎました。
初日は昼、あとの二日は夜陰に紛れた活動で寒さが堪えますた。
今日は寝ます^^
>高齢で寝たきりの利用者を放っておけ,というんですかね。
お母様を待っている高齢者がいらっしゃるのにね。
裁判員だけの犠牲では終わらない。
周りの方に波及していくのですよね。
被告にしてもそうですよね。冤罪を生み出したら家族に波及していく。
正月に放映された長編作「石田光成」の中で、アホ将軍様が言いました。
「兵士が たかだが3000(だったと思う) 死んだだけではないか!」
俄かに三成の表情が変わった。畳みかけるように将軍を諌めました。
たかだか3000とは何事!
兵士に妻がいるとして6000。父母がいるとして12.000
子が3人あるとして21.000の民が死ぬのですぞ!
国は考えてくれているのでしょうか。
>なんで国民が法曹界の尻ぬぐいを強制させられなきゃいけないんだ
司法の責任を国民に転嫁しないで欲すいです。
わかってくださってありがとう。
裁判員制度も、もっと違う形でなら受け入れたかも知れませんね。
反強制的ではなく、判決は参考に留める・・・とかね。
参考に留める理由は、
国民に負担を強いてはならない。最終的には司法が責任を負うものである、とか
責任の所在を明確に。現システムは国民に丸投げざんす。
裁判は選挙ではありません。人を裁くとは、もっと厳粛なものだと思いますんで
素人が多数決で決定←「これが民意です」←「民意を尊重して決定」というのも変な気がします。
>既存メディアに思考を奪われるのではなく,より主体的に,より能動的に,
>この国の未来を考えようとする国民が目に見えて増えている気がします。
>日本もまだ捨てたもんじゃないねっ!!
ういっす。
公明党の根の深さなどを知るにつけ、ショックを受けたり凹んだり
もう駄目かも、日本終了・・・とネガティブになることもあります。
しかーし、能動的に、主体的に行動し考える方に接すると
大丈夫、日本は変わる、と思えますね。希望です。
希望の末席に、鴻も加えてもらおうっと。
相互リンクのご依頼
http://hikaku-lin.com/link/register.html
こちらより、相互リンクしていただけると嬉しいです。
まだまだ、未熟なサイトですが、少しずつコンテンツを充実させていきたいと思ってます。
突然、失礼しました。
U5OPWkq8
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<よほどの理由がなければ拒否できない。反強制的?!(辞退すれば罰金10万円)>
そなアホな〜という感じですよね。まさに「平成の赤紙」じゃないですか?これ。
うちの母親は介護士をやっているのですが,小規模な事業所なので一人欠くだけで手が回らなくなるそうです(母は土日問わず働いています)。そんな母に,「裁判員をやれ」「都合の悪い月を書け」って言われることが,どれほど酷なことか。高齢で寝たきりの利用者を放っておけ,というんですかね(幸い我が家には通知が来ていませんが)。
特に辞退を希望する旨を調査票に書いて,と言われても,母は法律の専門家であるわけではないので,通知が来ても調査票に上手く辞退希望の意思を書けるのか・・・と心配しておりました。
* * *
鴻さんが私のブログにコメントしてくださったことで,ハッとさせられる部分がありました。
<民意を汲むべく努力すべきは法曹界がすべきであって、国民に努力を強いてどうするのと。 >
正直,それまで私は裁判員制度ありきの司法改革に囚われていました。しかし鴻さんのコメントのおかげで,「そっか!なんで国民が法曹界の尻ぬぐいを強制させられなきゃいけないんだ」と思うようになりましたね。
まず法曹界が国民に真摯な姿勢でありなさい。むしろ司法が国民に参加してきなさい。・・・というのが,司法改革の正しい道筋なんですよね。国民がなんで司法に参加させられなきゃいかんのじゃ(笑)。
私は裁判員制度が憲法の精神を踏みにじっていると考えていますから(私はいつから護憲左翼に戻ったのだろう・笑),裁判員制度には大いに不満です。
鴻さんのように率直に裁判員制度に対する疑問点や不安をエントリにしてくださるかたがこれからも増えるいいなあ。それが司法改革を正しい方向へと向かわせる契機になるかも知れません!
国籍法改正で附帯決議が付いたように,国民一人一人の声がこの日本をよりよい方向へと変えていく力を持っているのでしょう。裁判員制度も,もしかすると,国民の声で変わっていくかも知れない(これが究極化されちゃうと直接民主政,さらには革命論になっちゃうんですけどね・笑)。
既存メディアに思考を奪われるのではなく,より主体的に,より能動的に,この国の未来を考えようとする国民が目に見えて増えている気がします。この国もまだまだ捨てたものではないねっ!!